黝い太陽の雫

気分気侭のブログ

5.8.2018

自分でも自分が屑な自覚はある。とある縁者に自分を卑下するなと言っておいて棚上げする様だが、本当に勝手な奴だと自負がある程度には勝手だと思う。

人間関係を築いていく上で、私は真正面から殴り合うかの如くぶつかり合ってしか築いて来なかった。その所為も有ってか嫌な事は嫌だと言う様に成った。しかし、そこで問題が発生する。恋人が出来た際、必ず俺個人の友人関係で喧嘩になる。

最初の恋仲は束縛が酷くて嫉妬魔だった。それが私は酷く息苦しく感じ、最終的には互いに石を積んで終わった。後になって、私自身も相手を同じ様に縛って居た事を知った。旦那が居る身で付き合って居たから私は不倫相手だったけど、それを知っても尚交際を続けた私も私だったと思うけれど。毒喰らわば皿まで、とはこの事か。
二人目の恋仲は言わば浮気相手の人だった。最初の元恋仲が突然垢を消して置いて行かれた時、慰めて貰ったり弱音を聞いて貰う内惹かれてしまった。彼女が一番長続きした恋仲ではなかろうか、一年位続いた。今この瞬間に至るまで、実際逢えた恋仲は此奴が初めてだった。でも、背後に四年の片想いを続けた男が居て、私が奪う事は叶わなかった。当時私は其奴に嫌われたくなくて気に入られたいが為、諦めてくれと半ば煙たい様な口調で云われる内、文字通り「ストーン」と云う感覚と共に泣く程愛した感覚がある日唐突に消えた。悪い言い方をするなら冷めたのかもしれないが、その時はまだ友人で居たい位の気持ちはあった。そうしたらそれはそれで「あんな事言わなきゃ良かった、もう一度愛して」と電話口で泣かれた事が切欠で冷めていく感覚があった。本当に文字通り、「すーっ」と。でも彼女とは、初めての恋仲とは一切しなかった喧嘩を沢山したしその分仲直りを繰り返す事が出来た。喧嘩をしても両成敗で仲直り、そこで終わりではない事をこの時学んだ。
三人目もやっぱり俺の浮気相手。当時、上記に書いた二人目の恋仲に黙って死神也の垢を作り、時線で告白しあぐりと付き合う事にした。それなりに好きではあった、しかし結局そこまで好きでは無かったのだろう、別件で自分がしんどくなりあぐりを放置して消してしまった。行為すらしなかった。
四人目も浮気相手。当時私は「おそ松さん」より松野おそ松也をして居て、相手は幸せを呼ぶとされる名前を持つチョロ松だった。ぶっちゃけ、行為をした。しかし、自分が思うよりもっと二人目に惹かれて居た事実に気が付き、罪悪感に塗れながらチョロ松を振った。
その二人の事は今でも十字架だと思ってるし降ろしてはいけないと思って居る。
三人目は二人目に冷めて少ししてから惚れた縁者。其奴は今でも友人関係が続いて居る唯一の奴(少なくとも私はそう思ってる)。一人目や二人目と違い、初めて「自由」をくれた人。でも、次第に放置される寂しさから段々と信じられなくなった。実際、線の時線で人と話して居るのは面白くなかったらしい、何故その時に言ってくれなかったのかと思わなくもないがそれはこの際置いといて、信じられなくなってから本人のとある言葉で悔い改め、そして共通の縁者に取られた。其奴は私自身も会話を交わす内気に入って信用に値する奴だと踏んで居た相手だった事が不幸中の幸いだった、私は当時学生だったので学校帰り、カカオで芝居を打ち奴を振った。それでも、信じる事をこの時学んだし信じる事が出来て良かったと今でも思う。
四人目は其奴と別れて少ししてから、束縛と独占、嫉妬を求めて敬遠して居た漢字空白乱用の界隈へ初めて足を踏み入れた時の縁者だった。この界隈は嫉妬魔で束縛心も独占欲も強く、酷い奴は監禁したい位のレベルである人がかなり多い(気がする)。此奴ともかなり喧嘩した。でも、何度突き放されても好きで好きでしょうがなかった、突き放される度に泣いて居たし、寂しさで一日一回は泣いて居た位には寂しかった。でも当時の私は学生、先生によっては携帯弄ってると目敏く注意して来るのも居たので早々ずっと構って居る訳にもいかず。その事でまた喧嘩になった。私だって一日最低でも一回は泣いて居た程度には本当は話したいし凄く寂しかった、だからこそ此奴だけが寂しがって天邪鬼故に消えようとするのが赦せなかった。その上、嫉妬故に突き放され私が幾ら想いを伝えても縋っても「如何だか」と更に突き放された。この時、伝わらない傷を自覚した。今でも、何かあったとしてもこれ以上傷付く事は無いであろう事は自負がある程だった。其奴とは、私がその疲れで爆発するのと別件で爆発するタイミングが被り別れた。ヨリを戻した所であの激しい独占欲に耐えられる気がしなかった。この時期は一番深い付き合いである弟にかなり世話になったと思って居る。此奴とは一番頻繁に通話をしたのではないだろうか。
五人目は、四人目と別れてから実に半年は経っていた。半年間、独身を貫いて居た事に自分でも吃驚した程だった。アニメ「銀魂」の高杉晋助也垢での恋仲で、根っからの放任主義者だった。もう少し一緒に居られれば、私もきっとその位が生き易い事に気が付き自然と互いが互いを尊重し合えたのかもしれない。分からないが、それこそ話したい時に話したいだけ話し、話したくない時は来ないし互いに普通に待てる。そんな関係が築けたかもしれない。其奴には「価値観が違う」、「待たせるのが心苦しい」との理由で別れられた。その当時は辛かったし泣いた、でもそうして居る内に数日で落ち着いた。それに縋れなかった辺りさして好きでもなかったのかもしれない。別れ話を持ち掛けられた時「嗚呼やっぱりか」と思ったし、何となくの察しが当たる奴だった。別れ際、「このまま一緒に居ても上手くはいかない」と言われたがその言葉に異論は無かったし自棄に冷静だったのを覚えて居る。

二人目の時に外で作って居た三人の彼氏共は今となっては恋愛感情があったのかすら有耶無耶なので書かないでおく。

そして今に至る訳だが、四人目と言動が酷く似て居り、爆発が早かった事は認める。好きこそものの上手なれとは言うが、本来ならば愛した相手には信じて貰えずとも「それでも良いよ、俺が勝手に好きで傍に居るだけだから」何て格好付けた台詞でボロボロな自分を隠し涼しい顔をして言って見せられる。それに、同じ場所に同じ大きさで同じ深さの傷が出来ただけ、何も問題は無いのに何故か耐え切れなくなった。それが切欠だろうか、世界がモノクロに見え始めたのは。
でも、当時は私が甘やかすのが今よりもっと上手だったからか少なくとも彼奴は甘えて来たし我儘もたっぷり言って来た。偶に私が疲れる程。時線で堂々と浮気をして居た程根っからの遊び人だった其奴がそこまでして来てくれる事が私はとても嬉しかったし幸せだった。今でも偶に思い出すけれど、やっぱりあの当時は好きだったんだな、と再確認してお終い。別に深い意味は無い。

だーーーーいぶ話が逸れたが、何が言いたいかって、友人又は人間関係に嫉妬するのは当然の事で、それがそもそも無ければ嫉妬も糞も無い訳で。
私は大事な何人かと大切な一人、そのどちらかを選ばなければどちらかが死ぬというトロッコ哲学みたいな問題には、十字架を背負ってでも大切な一人一択と胸を張れる覚悟があるから好きになれる訳だが、勿論そんな局面には出逢いたくもない。私は友人も大事にしたいタチだからだ。悪いが、中身(現 @ Grund_zu_leben )に繋いで居る人はちょっとやそっとでは手放したくない人達だ。だから以前、垢を纏めて元の垢を消す際にもごっそり強制移動をしたのだし。
嫉妬や束縛、独占を求めても根は自由人。何時かはその鎖からの解放を願うようになる。その上私は本来は嫉妬の沸点が高い。時線にも書いたが、大概の奴がアウト視する様な事もセーフラインに入るのではないかと思う。
勿論キスはアウト。嫉妬じゃ済まない。全てを妬き尽くしにかかる。
でも、他の奴を抱き締めて居ても気にならない。自分も誰かを抱き締める時は抱き締めるから。可愛くて思わず、何て理由から今そうしないと此奴は壊れてしまうのではないかという不安と安心させる為そうする事もあるからだ。勿論好きな人は凄く大切、でも大事な人達の前でも出来れば妥協したくないから結局そうなるし、誰かを甘やかして居ても気にしない。
結論、俺は屑だ。彼方へふらり、此方へふらりと恋仲に不安しか与えぬ屑人間。でも直そうともしない辺りこれだから恋愛は向いて居ない。