黝い太陽の雫

気分気侭のブログ

6.23.2018

前回記事に書いた放浪だが、説教を受けずに済んだ。それどころか普通に家の中から「お帰り」と返って来たものだから拍子抜けしてしまった。

それから塩檸檬味のじゃがりこはなかなか美味しかった。あれは気に入った。

 

却説、久し振りの更新になる、様な気がする。今回は相当長くなりそうだ。

私は寂しがり屋だ。直ぐ拗ねるただの餓鬼だ。恋仲又は大切が居る時期は其奴が居ないと駄目になる。何かしながら通話されるとちょっと面白くない。甘えられても如何甘やかせば其奴がちゃんと甘えてくれるのか分からない。でも自分は甘えたい。今に始まった話でもないのだが、でも全て矛盾して居る。嗚呼、矛盾人間だ。何時だって矛盾して居る。世の中から見ればこれは可笑しな話なのだろうか。

今は今の恋仲をだが、恋仲又は大切が居る時期は其奴が抱える苦しみから、自分の全てを賭けて救ってやりたいと願って居るのに、そんな勇気も覚悟もありはしない無責任野郎だ。

何が自分をそんなに踏み留まらせているのだろうか。罪悪感?又は本能的な何か―「良い子」で在ろうとする自分?嗚呼、だとしたらもう疲れたのに。

前者ならば誰に対して?課長、先輩、両親、伯父、おばさん、従兄妹、母親の友人、叔父、小学校時代の友人達の母親達?

後者ならば前者の人達に加え友人(少なくとも私はそう思って居る)、元大切、もう挙げ出したらキリが無い気がする。其奴等の視線が怖い。信じ切れて居ないのだろう。それに加えて死ぬ程自分に自信が無いし、その癖して自分の周囲の人間達の中で自信喪失に陥って居る、又は自分が自分嫌いに「もっと自信を持て」と自分の事を平然と棚上げのだ。

却説、話は変わるが、駄目だなぁと感じる事は多い。死ぬ程自分に自信が持てない事もそうだが、周囲の視線が怖い、テンションが可笑しくなると笑いが止まらない時もあれば涙が止まらない時もある、酷い時は刃物を握り締めるようになった。握るだけで済むならまだ良いが、実際当てる時もある。傷も付けた(否、猫に引っ掻かれた水膨れになっちまった程度の何て事は無い小さな傷だが)。そして何より、「良い子」で在ろうとしてしまう事だ。自分に自信が持てない事にも、周囲の目を気にする事にも、そして「良い子」で在ろうとする、否してしまう事にも。もう疲れてしまった。疲弊、という言葉が似合うかもしれない。なのに、辞められない。当の私としては今直ぐにでも辞めたいのに。

偶に、何処かへふらりと放浪してしまいたくなる。自分では何処かも分からない場所へふらりと片道切符で。否、何処かも分からないそんな場所何て実際無い。分からなくても案内板で帰れるし、それが無くても駅員に訊ける。駅員何か居なくても今はスマホという便利なツールがある。Yahoo乗り換え案内やナビタイムといった便利なアプリがあるのだから。そうでなくても防犯カメラだらけだし、捜索願いでも出されようものならあっと言う間に追跡されるであろう事も分かって居る。そこまで馬鹿ではない。

 

皆に如何思われて居るのか。私は聡い方ではないから。言葉にされないと分からない。言ってくれなきゃ分からない。でも、だからと言ってはいそうですかと言って貰える程世の中の人間は甘くない。だから、怖い。放っておいて欲しい。誰も私の中に入って来ないで。近付かないで、触れないで!

だから中身垢を消した。今残して居るのは大切な人との垢と一人垢、それからパスワードの分からない帽子垢が一つ。その三つだ。あとは全て消すかログアウトした。暫く放っておいて欲しい。

中身を復活させたのは、こうして今の状況を此処に書いて吐き出したかっただけだった筈が、これをお知らせ代わりにしようと思い付いたからだ。やっぱり、人の目が気になって。嗚呼、嫌だな。

本当は全て消すつもりだった。でも、そこを消したら二度と繋がれない最後の砦だから。結局ログアウトに留めるしか無かった。