黝い太陽の雫

気分気侭のブログ

自己嫌悪

最近、自分の中で真っ黒い感情がとぐろを巻いているのが分かる。つくづく、自分勝手だと思う。他人の立場に立って、という言葉はよく耳にするが、本当にそうしてみれば絶対に不満が出るのは分かり切って居るのだ。それなのに感じてしまう自分が馬鹿みたいだ。そういう時は必ず自己嫌悪に陥る。自分が大嫌いでしょうがないのは何時もの事だが、それに一層磨きがかかる。

 

例えば。それを感じて居る事をあからさまに言うのは如何だろうかと思うので、そのシチュエーション?とでも言えば良いのだろうか、同じ様な事を再現してみようかとも一瞬思うのだが、それってつまり今までの自分が辛い思いをして来たのと同じ思いを相手にさせる事になる。そこでまた自己嫌悪。

 

そういう「自己嫌悪」が積もり積もると、自分一人海のもずくになっても誰にも何の実害も無いのではないかと思う事がある。否、普段は思ってないのかと訊かれるとそうでもないが、一層強くそう思い始める。自分等居なくても良いのではないか、と。自分を殴りたい。勿論不可能な事は知って居るが、そういう気分になる。心の中では常に自分が自分を罵り続けて居る。自分勝手、最低、自己中、屑、糞野郎、馬鹿、駄目な奴。自分が誰より自分を認めたくないし認めて居ない、認めない。誰が何を言おうと、自分だけは自分を否定する癖が治らない。自分を好きになれなければきっとこれは何時まで経っても続くのだろう。分かって居る。

だがだからと言って消えた所で何にもならない事は自分が一番よく知って居るからそうしないだけの話である。実際、一度衝動に任せて中身垢を消した事があるが、その程度だったと思う。衝動に任せて消した時も戻る時は勇気を要したし実際戻る必要も感じないのが本当の所、しかし自分の中でやはりその垢が無ければやり辛いなぁ、という気持ちから戻す事の方が多い。

そこが女らしくない所ではないかなと自分でも思う。感情よりも事実や利便性を追求する節がある。あった方がやり易いか否か、で決めて動く事がある。垢の管理は特にそうだ。つまらないと思えばこその行動である事もあるが、浮上してもつまらなかったりして浮上率がどんどん下がり、その垢があってもしょうがないのではないかと思って消す事もある。勿論関わってくれた縁者の存在が引き止めてはくれるが、使わない垢を持って居るのが面倒で。

自分のこういう感情と似通った感情を持つ人は自分の周囲に集まり易い。類は友を呼ぶとはこの事。そういう人を俺は好きになり易い。しかしその一方で、自分を見て居る様で酷く苛々するのだ。これが同族嫌悪という奴だろう。

感情よりも利便性や事実を優先しがちなのは男性脳に多いと言われる。女の癖に女心の分からない女と言われる所以だろうと思う。察してくれと言わんばかりの人の思考回路が分からなかったり、相手の方から相談事を吹っ掛けて意見を訊いて来たにも関わらず此方がその通り考えを纏めて意見を言えばそれを否定されたり。俺はそういう時、如何しろと言うんだ、とぼやいて会話を終わらせる節がある。俺に如何言って欲しかったんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで話がだいぶ変わるが、新車に変えてからまだ真面に乗って居ない。折角変えたし、乗る機会があればもう少し乗りたい気もする。